「男尊女卑依存症社会」の要約・読書メモ

斉藤 章佳が著者である「男尊女卑依存症社会」の要約・読書メモです。

斉藤 章佳が前に出している「男が痴漢をする理由」については、以前別の記事でまとめています。

「男が痴漢をする理由」という本が衝撃的だった

 

今回は、「男尊女卑依存症社会」の中で、印象に残った部分について、引用します。

引用している内容が気になった方は、ぜひ本書を直接読んでみてください。

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<印象に残った部分の引用>

・依存症の特徴は「否認の病」です。自分が依存症であることを受け入れられない、認めたがらない、という意味です。

・依存症とは「生きづらさの病」といってもいいので、生き方を総合的に見直さないままでは、「なぜ依存する必要があったのか」の全体像が浮かび上がってきません。それなのに、私を含め臨床の現場では不自然なほど働き方に関心を払ってきませんでした。

・DV加害者たちは、一見やさしげな風貌の男性が多いです。人当たりがよく、話も上手で、いわゆる”いい人”に見えます。おまけに、仕事熱心です。こうなると社会からの評価はとても高く、発覚したときに「まさかあの人が」と思われます。仕事熱心といえば聞こえが良いですが、それも度が過ぎていて、あきらかにワーカホリックの傾向があると私は見ています。本人たちも「俺は仕事ができる」と自負しています。だからでしょうか、家庭でも指示命令系統を作りたがるのがひとつのパターンです。当然、上司にあたるのは自分で、妻は部下です。ワーカホリックの人は仕事を通じてしか人と接することができないので、家庭にもそれを適用させようとしているのでしょう。妻に指示を出して家庭を切り盛りさせ、それを自分が評価するという構図を作るのです。

・本来、妻と夫のあいだに上下関係はないはずです。一方で日本の組織は上下関係によって成り立っています。

・ワーカホリックになると、仕事で接している世界がすべてになるため、家庭でも妻やほかの家族と対等の関係を築くという発想がなくなり、部下のような感覚で、妻をコントロール下に置こうとします。

・会社でも家庭でも、人と本当の意味で親密な関係を築くことができず孤立するワーカホリックの人たち。人間関係においてすでに”死”を迎えているといっていいでしょう。

・依存症からの回復とは、周囲とのつながりを取り戻し、傷つけた人との関係性を再構築し、どのように孤立を防いでいくかを考えることでもあります。まさに生き方の大変革といっても過言ではありません。

・依存症の治療では、「なぜその対象に依存する必要があったのか」に向き合うことになります。お酒やギャンブルをやめるためのスキルを身につけることも重要ですが、その”なぜ”がわからないままでは、もしくは解消されないままでは、生きづらさの根っこを理解することができないからです。

・「自尊感情」は、依存症を考える上で外せないキーワードです。自尊感情と依存症のリスクとは、反比例の関係にあります。

・自尊感情を守ろうとすること自体は、人として当然です。それがなければ、社会生活は立ち行かなくなるでしょう。けれでそれを実感するために、不適切な努力を選択してしまうことがあります。とくに、男児へ性的暴力をふるうなど、他者に損害や危害を与えるものは論外です。そういう意味で依存症とは、ストレスへの不適切なコーピング(対処法)が習慣化した結果であると考えることもできます。

・””AA(アルコール依存症の自助グループ)のプログラムでは、『許す』ということがとても大事なんです。怒りは、スリップ(再発)につながるトリガー(きっかけ)になりうるので。

・「男性は下駄を履かされている」という表現を昨今よく見かけます。私もみずから望むと望まざるとにかかわらず、これまでにいろんな下駄を履いてきたのだと思います。

・私は、男性は「気づいていないわけではない」と考えます。実は薄々、自分たちが下駄を履いていることに気付いている。だからこそ、認められないーこれも「否認の病」だからではないでしょうか。彼らが「自分は下駄を履いている」という事実を認めたがらないのは、認めたが最後その下駄を失うとどこかで知っているから、と思えてなりません。

・依存症からの回復の第一歩は、自分がそのモノや行為に耽溺していてコントロールできなくなっていると認めることです。そうしてはじめて、そのモノや行為を手放せるようになっていくのです。

・自分は何もできない人間だ、無力だ、死にたい、消えない、なくなりたい・・と思っているときに大勝ちしたときの高揚感を想像してみてください。依存症はその対象を問わず、自尊感情が欠如している人ほど陥りやすいことは、先にお話したとおりです。

・依存症の人はことあるごとに、自分を大きく見せようと精一杯自分を膨らまして生きてきました。男らしさに過剰適応している人なら、なおさらです。そんな人は、間違いを素直に認めることが苦手です。

・間違いだらけの過去、自分の弱み、恥の記憶、これらを開示するのが怖いのは、自分にはデメリットしかないと思っているからではないでしょうか。しかし私は自分の経験から、自己開示には強力なメリットがあると断言できます。それは「自分は仲間から受け入れられている」という手応えです。

・お互いの弱さを開示し、承認し、それによってつながるというのは、これまでの歴史上、男性がやってこなかったことのひとつです。そこにパワーゲームやマウント合戦はありません。だれが優れているとか、誰が勝利するとか、そうした評価軸が意味をなさないつながりに身をおくと、自分が今まで周囲から男らしい男だと思われることにいかに気を遣い、緊張していたかがわかります。